交流戦で特大ホームラン・松坂大輔

【甲子園での本塁打は98年夏の高校野球以来】


松坂が甲子園でホームランを打ったのは、
98年夏の甲子園で当時鹿児島実業のエース・杉内俊哉(ソフトバンク)以来。

以下、松坂大輔のお話です。


対戦相手の阪神ファンからもブーイングではなく、拍手でしたね。
ダイヤモンドを一周するとき、照れくさいやら嬉しいやらで、足取りが速くなってしまいました。


ダーウィンの149kmの速球をはじき返してのホームランでした。
ダーウィンの球は速かったですね。打撃練習はしていたけど、150kmの球を投げるバッティングのピッチャーはいません。だから、はじめは球に目が慣れなくて、バッターボックスに立ったときは、『はえ~』って思いましたもん(笑)。でも、素直にバットを出したら観客席の深いところに飛んでいきました。


交流戦で打席に立てて何か気づいたこと、得たことはありますか?
下柳さんの落ちるシュートは打ちにくかったし、反対にいくら速い球でも、僕がダーウィンを打ったように、高めに入ると打ち込まれる。打者の心理を再度確認できたことが、交流戦の大きな収穫でした。バッターボックスでつかんだものを、これからマウンドに生かしていきますよ。


■松坂自身は、ダーウィンよりも球速は上。
(2000年の7月28日近鉄戦の4回、中村紀洋との対戦で自己最高球速の156キロをマーク)

にも関わらず、バッターボックスに立ったときは、『はえ~』って思った、というコメントから
わかるのは、

“平成の怪物”も人間なんだ という、ごく当たり前の事実だった。

だが、ここからが怪物の本性。【力で押し倒す】という豪速球と高速スライダーで
高卒ルーキーから大車輪の活躍を見せた男は、成長が止まっていないのだ。


毎年、そしてきっと毎日という単位で、何かを吸収し、自分を変化させ続けている。


そして今や、当時とは全く違う松坂になってしまった。
交流戦で試合の解説をしていた人(誰だったか忘れました・・・)の話からもそれがうかがえた。

『松坂ってこんなピッチャーだったかな~って思ったんですけど、
後半になってから、僕の知ってる松坂になりましたね』


この試合、あまり調子がよくなかったのか、松坂は試合前半に変化球を多様。
今シーズンからはフォークも覚え、プロになってから覚えた球種は非常に多彩になっていて、
直球でねじ伏せることなく、阪神打線を抑えてしまっていた。

後半には投球内容をガラリと変え、セリーグの人にもわかる松坂へと変身。
これでは相手も的を絞ることが出来るわけがない。2人の凄い投手が出てきたようなものだ。


この前半の投球こそが、進化の証。

人は変化することを恐れる生き物であり、ましてや豪速球投手という完成度の高い自分を
持っている松坂が、もしかしたら今持ってるものすら無くしてしまうかもしれない、“変化”
を恐れず、常に変わっていこうとする姿勢がとにかく素晴らしい。


しかも自ら進んで変化を求める。自分が汗水流し、苦労に苦労を重ねて出来た自分を
さらに壊していくことで、ここまでのレベルの選手がさらに成長を遂げているのだ。


でさらに凄いのは、こういった“自分破壊”を常に行っている松坂が、
毎年毎年、きちんと結果を残していること。本当に西武に来てくれてよかったと思う。


ソフトバンク・和田の、『早く大輔に追いつきたい』という話を聞いた松坂が、
『成長のスピードが僕のほうが早いですから、絶対に追いつかせません』
と言ってたこと。これはまさに真なり、といえるだろう。




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